憧れのマラッカ 2021/11
ディーパバリ(インド人の正月)にマレーシアの京都といわれる、
歴史的な街、マラッカに行ってきました。
YouTubeはこちらをご覧下さい。ここをクリック下さい。
今夜泊まるホテル”ベイビュー・ホテル”です。RM210(5500円)/泊 | |
祝日ということもあり、凄いクルマと人で、駐車できないので、ホテルに駐車し、歩くことにしました。 | |
町を走る白バイですが、カワサキの250ccと、日本の中古車と思われるVFR800です。 | |
マラッカといえばココ”クライストチャーチ”です。 マラッカを植民地支配していたオランダによって建設されたものです。 |
|
トライショー『Trishaw』と呼ばれる派手な装飾の人力車が爆音の音楽とともに走っています。 | |
スタダイスと呼ばれる旧オランダ総督邸の中は 歴史博物館になっています。 これから歴史のお勉強です。 |
|
クリス(Kris)と呼ばれるマレーシアの短剣 武器であり、霊的なものであるクリスは幸運ないし悪運を持つ存在と考えられています。 |
|
1262~1511年 国王スルタンが統治していました。 | |
1511~1641年 ポルトガルの植民地となりました。 | |
1641~1824年 オランダの植民地となりました。 | |
1942~1945年 日本の占領下でした。 マレーシア独立は1957年でした。 | |
サルタンの黄金のサイドカーでしょうか。 | |
BUKIT CHINAのプリンセスHANG LI POHの住まいです。 | |
TUN PERAKは、1446年にベンダハラに任命されました。(マラッカ王国の第5のベンダハラ) | |
クランタンへのマラッカの攻撃 | |
首相の殺人事件 | |
首相に向けたシークエンスの無礼 ! | |
海からのポルトガルの攻撃 | |
ポルトガルの攻撃 | |
首相が実行されます。 | |
フランシスコ・ザビエルの到着 | |
1628~1629年 アチェの攻撃 | |
砦の包囲 | |
1640年 オランダの攻撃 | |
歴史博物館(2階)から観たスタダイス広場とCHRIST CHURCH | |
1432~1433年に東南アジア、スリランカ、インド、北東アフリカへの航海に使用しました。 | |
これはマレー船のひとつで中型です。 | |
PRAMESWARA前のマラッカです。 | |
忠誠と反逆の概念の始まり | |
スルタン王朝の設立 | |
パラメスワラのプリンセスパサイとの結婚 | |
ハン・トゥアの出現 | |
漁師としてのキングカシム | |
イスラム教開発センター | |
貿易業者の到着 | |
マラッカパレードのスルタン | |
初期のマラッカ | |
陰陽の到来 | |
マレーシアの伝統的な結婚式 | |
現在のマレーシアの結婚式 | |
マラッカの伝統的な衣装 | |
赤ちゃん誕生祝い(断髪の儀式) | |
ババのブライダルチャンバー | |
スタダイスの排水システム | |
MENARA TAMING SARI これに乗ると80m上昇して360度回転しながらマラッカの景色を一望できます。 |
|
風景などはYouTubeで紹介します。ここをクリック下さい! | |
昼食は、簡単にバーガーキングです。 | |
A Famosa (別名:サンチャゴ砦) 1512年にマラッカに建てられたポルトガルの要塞 シンプルな堅牢で、中世のヨーロッパのデザイン を今に伝える貴重な建造物です。 |
|
セント・ポール教会 1521年に建てられたもので、マレーシアと東南アジアで最も古い教会です。 |
|
ST.PAUL教会の丘から観たマラッカの街です。 | |
リバークルーズに乗ってきました。 詳細はYouTubeで後日公開致します。 |
|
もう、ヘトヘトですが、最後に! マラッカ王国から奪った宝物を積んだまま、 マラッカ海峡に沈没したというポルトガルの 大型帆船フロール・デ・ラマール号を復元した 博物館を見学しました。 |
|
ホテルに帰り、ちょっと休憩です。 | |
窓からの景色は今一つです! | |
疲れたので、足裏マッサージに行きました。 力が強いのは認めますが、痛いだけであまり 気持ちよくないです。足が彼の腹に当たります。 |
|
夕食は、マラッカのファミリーマートで買った カップヌードルとおにぎりです。 野菜は野菜ジュースで! |
|
翌日の朝食です。 ビュッフェスタイルで、美味しかったです。 |
|
早朝から散歩に出かけます。 朝は涼しくて気持ちいいです。 |
|
川沿いを歩くと、見事な壁画が・・・ | |
しかし、こんなオオトカゲもいました。1.5mはあります。 | |
ババニョニャ民族とは、中華系移民男性が19世紀後半までに現地のマレーシア人女性と婚姻し、産まれてきた混血の男の子をババ、 女の子をニョニャと呼んでいたのがルーツです。これらの子孫達を地元では「ババニョニャ民族」と呼ぶようになりました。 |
|
ババ・ニョニャの博物館は今日閉店です。 非常に残念です!! |
|
道沿いの服屋さんに中国とマレーが複合したような綺麗なドレスが・・・ | |
消防署です。 中を覗くと真っ赤なバイクが・・・ | |
見ての通り、ボディービルのジムです。 | |
有名な中国寺院”チェンフンテン寺院”に行き、お祈りしました。 | |
1泊だけでこのマラッカを観光するのは、無理です。 次回は2~3泊してゆっくり来たいです。 |
|
帰りの高速道路でミースープを頂きましたが、想像以上の激辛でした !! おわり・・・・・ |